amano家のすたぁてぃんぐのぉと。

夫婦と息子一人の三人家族、平和に暮らしています。(*´ω`)

この日を一生忘れない。

九年前のこの日、私もあの大地震の真っただ中にいました。
揺れは、初めはそれほどでもなかったのですが、しばらくすると大きくなり、次第に激しさを増して行きました。
慌てて外に飛び出した私は、初めて、外で地面が揺れる感覚を味わいました。
目の前の自宅は横に大きく揺れ、隣の家の瓦が嘘みたいに地面に零れ落ち、近所の小学校からは悲鳴が聞こえました。
思わず、「ウソ、もうやめてよ!」と叫んでいました。


揺れが収まった頃、自宅を覗くともう、滅茶苦茶でした。
食器がほとんど床に落ちて割れて、家具が横ずれして、テレビも倒れ、本当に、滅茶苦茶。
余震が続くので、怖くて家の中にはいられず、車の中でラジオをつけてなんとか情報を拾おうとしました。
当時は、確かまだガラケーだった気がします。
どこに連絡しても通じず、停電でテレビも見れない。
ラジオから繰り返されたのは、津波に注意してください、という、アナウンサーさんの声でした。


うちは被害はそれほどでもありませんでしたが、その後ニュースから流れてきた、散々繰り返されたあの津波の映像は、一生頭から離れません。
そして、体感したことのない、見えない放射能という脅威。
自宅から出られず、ニュースで流れる原発の行方を一喜一憂しながら見守る、恐怖。
忘れもしません。


こんな時だから思うことは、福島の人への差別を、今のコロナの現状が物語ってます。
あの頃と同じ。
見えない恐怖が、人の黒い部分をあらわにする。
あの時の福島県民の気持ち、きっと今ならみんな分かるんじゃないかと思うこの頃。


私は忘れません。
そして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

×

非ログインユーザーとして返信する